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2022-09-08 DX サステナビリティ
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デジタル時代の熟練技術者育成法、HCMI×日本溶接協会×NSSOLによるAI溶接シミュレーターが起爆剤に

~熟練者のノウハウをモデル化し身体の動きを含めた学習環境を提供~

生産年齢人口の減少や、労働環境を起因とした若者離れなど、日本のものづくり企業は諸々の課題に直面している。ものづくりを支える溶接の現場も同様だ。そうした中、人を主体とした新しいものづくり手法の開発に取り組むHCMIコンソーシアムと日本溶接協会、日鉄ソリューションズ(以下「NSSOL」)が、熟練の溶接技術者を育成するために、デジタル技術を利用した新しいシミュレーターの研究開発に取り組んでいる。その狙いや将来への期待をプロジェクトの中核メンバーが語った。(文中敬称略)

─ものづくりの現場では、デジタル技術を活用した自動化やロボットとの協働などへの取り組みが本格化してきました。「人」が主役となるものづくり革新推進コンソーシアム(Consortium for Human-Centric Manufacturing Innovation:HCMIコンソーシアム)のテーマも、「人」を主役とした考え方に基づく新しい、ものづくり手法の確立にあります。

岩井 匡代(以下、岩井):HCMIコンソーシアム事務局長の岩井 匡代です。HCMIコンソーシアムは2019年、産業技術総合研究所(産総研)の産学官共同プラットフォームとして始動しました。国内の製造業が直面する生産年齢人口の減少や消費者ニーズの多様化といった課題の解決を支援するためです。「大量生産のベースである機械に労働者が合わせる働き方から、労働者が主役となり機械をパートナーとして協働する働き方への転換」を2030年に向けた目標に掲げています。

HCMIコンソーシアム事務局長 岩井 匡代氏

“親方の技を盗む”形の技術習得は熟練者の減少で限界に

岩井:生産年齢人口の減少は人手不足を引き起こすだけでなく、労働者も消費者であるために市場の縮小にも直結しています。人を主役とした、ものづくり手法を確立できれば、やりがいの向上を通じ、労働寿命の延長による人手不足の解消と同時に、市場の縮小回避が期待できます。機械には真似のできない柔軟な職人技による“変種変量”の、ものづくりに向けた道筋もつけられます。

しかし、ものづくりにおいて喫緊の課題になっているのは熟練技能工の育成です。熟練者が持つ技能の重要性は今後、さらに高まると考えられています。

ただ従来の“親方の技を盗む”形での技術習得では、熟練者自身が減り、廃業も相次いでいるだけに、育成が間に合わないリスクが現実味を帯びています。また、親方の腕がいくら良くても人には得手・不得手があるため「親方のやり方が絶対的に正しい」とは言い切れないことも悩ましい点です。

これらを踏まえHCMIコンソーシアムでは、熟練者の”経験や勘”を効率よく伝承する手法の確立に力を入れています。その一環として、多様な産業で使われる溶接に着目しました。そこで溶接協会にお声がけし、熟練者をより効果的に育成できる溶接シミュレーターの研究開発に着手しました。

水沼 渉(以下、水沼):日本溶接協会 専務理事の水沼 渉です。溶接は金属同士を接合するという、ものづくりの基盤技術であり、溶接なくして日本が得意とする製造業は成り立ちません。しかし、ものづくりの現場の海外移転などを背景に、国内の溶接技術者は減少してしまいました。ところが近年、溶接工程の国内回帰が進んでおり、溶接技能者の不足は深刻化しています。

日本溶接協会 専務理事 水沼 渉氏

水沼:熟練者のノウハウを喪失してしまうという危機感から、我々は熟練の溶接技術者が持つ技術・技能の伝承活動を改めて強化してきました。そこでわかったのが、熟練者の教え方は千差万別だということです。例えば、「仕上がりは一定レベルだが作業が速い」、あるいは逆に「作業は遅いが仕上がりがとてもきれい」といった違いです。熟練者のそれぞれが、自分に合ったやり方を工夫しながら技能を身に着けてきたからです。つまり、正しい溶接法は1つではないのです。

その前提で、学習者が効率的かつ前向きに技術を習得できるようにするには、個々人の身体的な特徴や性格なども考慮し、教え方そのものも学習者に合わせて変えることが望ましいということになります。ただ、従来の学習方法では学習者に合わせて最適化することが難しく、若手が訓練についていけないケースも残念ながら生じていました。

そんな状況下で、新しいシミュレーターを研究開発するという話は、まさに渡りに船でした。HCMIコンソーシアムが考えるシミュレーターであれば、学習者が“型”にはめられることなく、個性を生かしながら技能を伸ばせると確信したからです。仮想空間を利用することで、安全に、かつ材料を無駄にしない自発的なトレーニングが可能になります。まさに溶接の技術継承のDXと言っても過言ではないでしょう。

─既存の溶接シミュレーターは、どこに限界があったのでしょう。

水沼:溶接では、溶接池を適切に保てるように溶接用トーチ(溶接棒)の角度と速度、距離の3つをコントロールします。既存の溶接シミュレーターでは、正解としての角度と速度、距離に対し、トーチをどれだけ正しく動かせているかを測定しています。適切な溶接池ができる角度・速度・距離の組み合わせは色々ありますが、正解値から少しでも外れれば不正解になってしまうのです。これは、千差万別な親方の指導方法を再現しておらず、我々が考える個性を生かした技術習得には合致しません。

これに対し、研究開発中の溶接シミュレーターでは「効率的で、きれいな溶接」という現場の正解に向けて、いくつものやり方を試せるようになります。実際の結果を実現できる技術を磨ける点で、既存の溶接シミュレーターとは一線を画します。

溶融池を基準に正しい身体の動きをAIで見つけ出す

青山 和浩(以下、青山):東京大学 工学系研究科 人工物工学研究センター 教授の青山 和浩です。研究開発中のシミュレーターを使ったトレーニングは、正しい溶接の方法がいくつもあることを許容し、応用力が高い技能習得が見込める点で極めて効果的です。

東京大学 工学系研究科 人工物工学研究センター 教授 青山 和浩氏

青山:溶接の機械化や自動化は、ずいぶん前から取り組みが進められてきました。そこでは、最適な溶接条件が求められ、確定であることが前提になっています。建設物や船、ロケットといった一品物の溶接や、作業環境が常に変化する屋外での溶接は多様であり、機械化のためには大掛かりな仕組みを導入しなければなりません。機械化の費用対効果を考えると、人が作業したほうが良く、人手による溶接作業がなくなることはないのではないかと思われます。

逆に言えば、人に任される溶接は、それだけ条件が複雑で多様だということです。製品構造の複雑化や素材の多様化に応じて、溶接技術者には今後、溶接する向きや姿勢、様々な溶接条件を最適に組み合わせて溶接できる能力が、ますます求められます。

ものづくりが高度化する中、素材の高機能化により溶接の仕方も日々、見直しが求められています。新しいシミュレーターでは、多様な素材を仮想世界で試すことで、種々の判断に必要な知見の獲得にも役立ちます。

─仮想世界を活用するシミュレーターとは、具体的にどのような仕組みなのでしょう。

笹尾 和宏(以下、笹尾):NSSOL 技術本部 システム研究開発センター デジタルツイン研究部 主席研究員の笹尾 和宏です。当社はHCMIコンソーシアムの設立企業の1社として今回の身体知に着目した溶接シミュレーターの研究開発プロジェクトに参加しています。

NSSOL 技術本部 システム研究開発センター デジタルツイン研究部 主席研究員 笹尾 和宏氏

笹尾:研究開発中のシミュレーターでは、溶接に必要な勘やコツなど言語化しにくい暗黙知を個人差までをふまえて習得可能にすることを目指しています。そのために今回は、アーク熱等によって金属が融けて池のようになる「溶融池」の形状に着目しました。

溶融池の形状は溶接の品質を決める重要な項目です。溶融池は作業中、常に変化し続けています。最適な溶融池を得るには、溶接の速度や溶接棒を動かす速さ、当てる角度などがチェック項目になります。

求められる溶融池を適切に制御するための身体の動きをAI(人工知能)技術を使ってシミュレーションすることでトレーニングができるようにしています。

溶接時の姿勢やトーチの動きのAIモデルで点数化

青山:溶接の品質にとって重要な溶融池は、材料特性や溶接条件などから物理的現象として計算できます。従来の溶接シミュレーターは、この計算が合っているかどうかに焦点を当ててきました。

新しい溶接シミュレーターでは、2つの機能を実現します。1つは、条件が同じなら結果も同じであるという溶接現象の物理シミュレーションの機能です。これは溶接現象を機械学習で代替するサロゲートモデルで実現します。

もう1つは、このサロゲートモデルで再現される物理現象と連動して、溶接技術者の身体の動きを評価する機能です。そこでは、溶接技術者の動きをセンシングし、事前に用意した動きのAIモデルと照らし合わせたり学習したりします。これら2つの機能を組み合わせることで、勘やコツといった暗黙知を仮想世界で体験し、学べるようになります。

笹尾:考え方は、スポーツのトレーニングと同じです。プロ選手は自身のフォームをビデオで常に確認しています。ただ我々は、上手な人のプレーを真似したつもりでも、期待する結果を出せません。野球でいえば、ボールがピッチャーからバッターに届くまでの短い時間で何を判断し見ているのか、その結果として、どこに重心を置き、どこに力を入れるのかといった実際の動きを、画像だけからはつかめないからです。プロ選手は、そうした力加減を体得しているため、フォームだけからでも身体の動きを再現できるのです。

これと同様のことを溶接に適用するのが今回の溶接シミュレーターです。溶接の難しさは、金属が溶ける状況を先読みし、それに合わせてリアルタイムに手を動かす点にあります。つまり溶接技術者は、金属と“格闘”しながら作業を進めています。その動きに対応した溶接現象を示すデータを大量に用意することで、実際の動きに基づいた溶接現象を仮想空間に再現します。

その際に、手本である熟練の溶接技術者のモデルとの差分を検出することで、より上達するためには、作業の動きをどう見直すべきかを個々人に提示できるようになります。その差分をシミュレーションにより身体で覚えられるようにするのです。

─研究開発はどの程度まで進んでいますか。

小野 友之(以下、小野):NSSOL 技術本部 システム研究開発センター デジタルツイン研究部 主任研究員の小野 友之です。人の動作に関しては、熟練者による現場作業データを元に学習したAIモデルと比較し、溶接訓練時の姿勢やトーチの動きの良し悪しを点数化できるようになっています。当然、溶接シミュレーターで溶接をした後には、自身の身体の動きを確認できます。そこでは、産総研が持つ、映像からのモーションキャプチャー技術などの研究成果やノウハウを活用しています。

NSSOL システム研究開発センター デジタルツイン研究部 主任研究員 小野 友之氏

小野:一方、溶接現象のAI予測モデルについては、改善すべき箇所がまだあります。例えば、溶接の結果データとして、半自動アーク溶接における下向きのデータは一定量取得できているのですが、このデータを熟練の動きと連動させるAIモデルの精度には改善余地があります。

溶融池についても、下向き以外の溶接姿勢である横向き、立向き、上向き、パイプといったバリエーションへの対応が課題です。ただ、これらは、データが蓄積されていくに伴っておのずと解消されるはずです。

笹尾:もう1つ頭を悩ませているのが、シミュレーション結果による学習効果の最大化です。身体技能は“コツ(自我を中心とした身体知)”と“カン(情況投射による身体知)”に分解できます。ですが、これらを言葉で伝えることは容易ではありませんし、お話してきたように体格や筋力など個人差もあり一律の型にはめるわけにもいきません。身体をどう動かすべきかを、より容易に、かつ正確に気づいてもらうためには、どんな情報やフィードバックを与えればよいのか。教育用ツールの命題として引き続き考えていかねばなりません。

“ディープデータ”を日本の競争力に変える

岩井:我々の間では「一人の師匠に合わせるのではなく、豊富なデータという、いわば何人もの師匠の中から自分に合う師匠を学習する側が選べ、自ら学びながら成長できるシミュレーターに仕上げる」という認識を全員が共有しています。溶接の真理を突くシミュレーターという高い目標を持ち、一歩ずつ、しかし着実に歩みを進めています。

水沼:AI技術を使うことによる将来的な可能性は決して小さくありません。当協会には、溶接結果である溶接跡(ビード)を見ただけで「何がどう悪かったのか」を見抜く熟練者もいます。彼らの知見をAIモデルに取り込めれば、失敗原因を提示することで学習効果をさらに高められるはずです。溶接技術の底上げを促せれば、日本のものづくり能力の向上にも寄与できます。

身体の動きまで加味するシミュレーターは溶接以外にも、さまざまな場面に流用できるのではないでしょうか。

青山:生産技術の革新は常に進みますが、こと溶接においてはロボットも熟練者の動きを真似るものでしかなく、現時点では職人技に到底及びません。溶接技術のさらなる発展のためにも、新しいシミュレーターの可能性は計り知れません。

働き手にとっても、技術習得のメリットは小さくないはずです。本来、人は物理的にものを作ることに惹かれる存在です。最近のネット上では溶接の動画も人気を集めています。「溶接女子」を自称するアイドルも登場しています。実際に溶接はしなくても、若者がシミュレーターを使って趣味として溶接を楽しむことも十分に考えられます。

例えば、eスポーツの世界では、技術を磨き続ければ待遇が上がり、個人事業主でも年収1000万円超といった高収入を得られる道が開けています。溶接が好きだということが収入という成果につながるとなれば、溶接技術者のなり手が増えても不思議ではなく、人材不足の解消も期待できます。

水沼:新しいシミュレーターは溶接技術について実際に触れる機会を増やす有効なツールになるはずです。人材獲得の観点では、業界全体への女性の進出不足も課題の1つですが、溶接技術の巧拙に男女差は関係ありません。前述の溶接女子アイドルも相当に高い技術を持っています。日本溶接協会では「溶接女子会」を結成するなど、溶接技術への女性の関心を高め人材のすそ野を広げる活動に注力しています。少しずつですが女性の溶接技術者も増えています。

岩井:HCMIコンソーシアムとしても、そうした世界を是非、実現したいと考えています。そのためにはまず、広く利用してもらうことが第一です。低廉なクラウドサービスの提供も検討を始めています。

職人が多い日本は、人の動きなど実体を示す“ディープデータ”の宝庫です。日本の成長を牽引する財産であり、このシミュレーターは、その蓄積と活用のためのツールです。HCMIコンソーシアムでは今回の経験を基に、他の製造技術にも横展開することで、日本のものづくりにおけるディープデータの活用、ひいては競争力向上の支援に取り組んでいきます。

NSSOLの溶接技能伝承についてはこちらでも解説しています。

2022年7月21日 システム研究開発センター 研究成果発表:FT1 溶接技能伝承

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