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2016-11-28 サステナビリティ
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NSSOL協賛「紀尾井クリスマスコンサート2016」ビッグバンドの名曲でスウィング!スウィング!スウィング!

デキシー・ジャズ・バンド「外山喜雄とデキシーセインツ」の外山喜雄氏

新日鉄住金ソリューションズは、12月23日に東京・千代田区の紀尾井ホールで開催される「紀尾井クリスマスコンサート2016」に協賛します。今回の広報ノートでは、昨年に引き続き出演される外山喜雄さんにご登場いただきます。
1920年代から1940年代にアメリカ・ニューヨークを中心に大衆を熱狂させたビッグバンドとスウィングジャズ。その名曲の数々を、クラシックホールで当時のスウィングの熱狂を一体どのようによみがえらせるのでしょうか。
ジャズ愛あふれる外山さんに、ビッグバンドとスウィングジャズの魅力、そして今年の公演の聴きどころや意気込みを語っていただきました。

サッチモに感謝! ニューオーリンズとの絆

―― 昨年に続き「ジャズの源流をたどる旅」の第二弾が開催されます。まず外山さんご自身のジャズの原点をお聞かせください。

外山さん:ジャズは約120年前、アメリカのニューオーリンズで、新しい音楽として始まりました。最初は音楽というかリズムです。フィーリングです。フィーリングとは何かというと、楽しくてスウィングすることです。そういう新しいリズムが生まれました。
そのニューオーリンズから大天才が世に送り出されました。サッチモことルイ・アームストロングです。"What a Wonderful World(「この素晴らしき世界」)"や"Hello, Dolly!(「ハロー・ドーリー!」)"を思い浮かべる皆さんは多いと思いますが、それ以前のジャズがまだ形づくられていなかったとき、ジャズ語という言葉をつくったのがルイ・アームストロングでした。マイルス・デービスも「もしルイがいなかったら、私たちは何もできなかっただろう」「ジャズのフレーズをやったとする。その中には必ずルイがやった何かがある」と称賛しています。
"In The Mood(「イン・ザ・ムード」)"のような音の跳ね方は、ニューオーリンズの人たちが始めるまでありませんでした。新しい音楽を生み出すエネルギーは、一体どういう社会で生まれたのだろう。偉大なルイが育った環境でジャズを体感したい。僕はずっと憧れていました。大学を卒業して、すぐ妻と結婚し就職したのですが、どうしてもジャズの故郷が見たかった。いてもたってもいられなくなり、1968年当時一番安いブラジル移民船に妻と飛び乗って、アメリカへ渡りました。そしてニューオーリンズで暮らし、ジャズの武者修行をしました。町の空気を体感することで、なぜルイが登場し、ジャズが1920年から一気に広まったのか、世界がジャズ化していったのかを理解することができました。こうして私は50年間ルイと暮らしてきました(笑)。

―― 外山さんはジャズで東日本大震災の復興を支援されていらっしゃいます。活動の経緯を教えてください。

外山さん:僕ら、そして僕らの先輩も後輩も、ジャズにお世話になりました。"Thanks Jazz!, Thanks New Orleans! Thanks Satchmo!"という思いを込めて、実は22年前からニューオーリンズに楽器を寄贈していました。ジャズの故郷なのに、状態のよい楽器がなかったので、恩返しとして楽器を送っていたわけです。
するとどうでしょう。東日本大震災後、ニューオーリンズから日本への恩返しにと、津波で楽器を失った気仙沼の子どもたちのジャズバンドに楽器が贈られました。思いがけない「サッチモのいたずら」に立ち会うことができました。
そこで2013年、気仙沼の子どもたちをニューオーリンズへ連れて行きました。大歓迎され子どもたちは大喜びでした。音楽は世界共通語です。世界中どこに行ってもお互いわかり合うことができます。ジャズを通じて、また一つ絆が生まれました。サッチモに感謝しています。

自然と体が動き出し、手拍子が沸き起こる

―― 昨年のジャズ公演は紀尾井ホールの主催公演として初の試みでした。反響はいかがでしたか。

外山さん:昨年は「ニューオーリンズ・ジャズと素晴らしきサッチモの世界」をテーマに演奏しました。ニューオーリンズではジャズでお葬式もやります。生きている限り人間誰しも悩みは多いものですが、死によって生の苦しみから解放されます。そのときを迎えた仲間を祝福して、黒人たちはジャズに合わせて踊ります。それが"When The Saints Go Marching In(「聖者の行進」)"です。そういう時代背景を織り込みながら、コンサートをやらせていただきました。
演奏に当たって、紀尾井ホールはクラシックのお客様というイメージがあったので、さすがに僕らも緊張しました。しかしホールはジャズを楽しみたいというお客様の熱気に満ちあふれていました。演奏が始まるとお客様たちの体が自然に動き出し、手拍子が沸き起こりました。うれしかったですね。感動しました。

―― 外山さんはさまざまなところで演奏されていますが、紀尾井ホールでのジャズ演奏は一味違うものなのでしょうか。

外山さん:鉄鋼王と呼ばれたアメリカの実業家アンドリュー・カーネギーによって建てられたクラシックの殿堂カーネギーホールで、1938年に初めてジャズコンサートが開かれました。
一方、紀尾井ホールもまた日本の鉄鋼業をリードする新日鉄住金の音楽メセナ活動の拠点です。ですから紀尾井ホールでジャズを演奏することは歴史的にも意義深く、大変ふさわしいホールだと思っています。
また紀尾井ホールは演奏していて大変心地良いホールの一つです。通常僕らが演奏しているホールでは、PA(拡声装置)を入れて演奏しますが、紀尾井ホールは生音で演奏します。今年はバンド編成が大きいため、一部ヴァイオリンが入るときなどはマイクが入りますが、原則生音です。ジャズの生の響きを楽しめる貴重なホールです。

紀尾井ホール:「本物の音」を聴くために設計された音楽ホール(800席)

ジャズの真髄をクリエイトしたい

―― 今年のテーマは「ビッグバンドの時代~スウィングしなけりゃ意味ないね~」です。聴きどころをお聞かせください。

外山さん:ジャズの歴史をたどっていくと、ニューオーリンズでルイ・アームストロングが生まれ、ディキシーランド・ジャズが確立します。そしてスウィング時代がやってきます。今年はそのスウィング時代のビッグバンドのポピュラーな曲を演奏します。
スウィング時代の大きな特徴は、音楽だけでなくダンスと結びついたことです。例えば1920年代はチャールストン、1930年代に入るとスウィングダンスが流行しました。ジャズを聴いていているうちに、体が動いてきて楽しくなる。そのスウィングする世界をクリエイトしたいと思っています。

―― 「スウィングしなけりゃ意味ないね」をサブタイトルにされたのは、そういう思いが込められているのですね。

外山さん:はい。この言葉を残したのは、ルイ・アームストロングと並び称される黒人音楽家のデューク・エリントンです。実にいい言葉です。"It Don't Mean A Thing If It Ain't Got That Swing(「スウィングしなけりゃ意味ないね」)"は、まさにジャズの真髄を言い表しています。
ですから第一部で僕らがエンターテインメントとしてのスウィングジャズの世界、第二部で守屋純子さんと紀尾井ジャズオーケストラがデューク・エリントンの世界を特集します。ビッグバンドの各時代が楽しめる構成となっています。さらに二部の最後には守屋さんの「デューク・エリントンに捧ぐ」が初演されます。どんな演奏になるのか。僕も今からわくわくしています。

―― ビッグバンドの時代とは、一体どんな時代だったのでしょうか。

外山さん:ルイ・アームストロングはニューオーリンズからシカゴへ行き、その演奏が大変評判になります。そして1924年ニューヨークで一世を風靡した黒人バンドのフレッチャー・ヘンダーソン楽団に加わります。この楽団は有名でしたが、まったくスウィングしませんでした。例えば"Copenhagen(「コペンハーゲン」)"も古風な旋律ですが、ルイ・アームストロングが入ることでスウィングするようになりました。
しかしフレッチャー・ヘンダーソンは、バンド経営者として成功しませんでした。1930年頃には鳴かず飛ばずになってしまいます。そのときルイの感覚が、ベニー・グッドマンのアレンジャーとして活かされます。"Don't Be That Way(「その手はないよ」)"では、ルイの影響が色濃く表れています。当時黒人にはどうしても社会的な制約があったので、すごい才能の持ち主でも芽が出ないことが多かった時代でもありました。

1920年代の譜面で新旧世代トッププレイヤーのセッション

―― もう一つの聴きどころとして、1920年代30年代の譜面での演奏があげられます。どんな演奏になるのでしょうか。

外山さん:今回カーネギーホールで演奏された1930年代当時の譜面を手に入れることができました。オープニングを飾るベニー・グッドマンの"Let's Dance(「レッツ・ダンス」)"に続き、"Don't Be That Way(「その手はないよ」)"、カウント・ベイシーの"One O'clock Jump(「ワン・オクロック・ジャンプ」)"は、すべてカーネギーホールが大ヒットしスウィングジャズ全盛期を迎えた1938年のグッドマン楽団のオリジナル譜面です。日本初と言っても過言ではないくらい貴重な演奏になります。

―― 外山さん世代と若い世代の人たちとの才能の融合が見られるわけですね。

外山さん:このコンサートの第一部では、私達デキシーセインツにゲスト奏者と、二部を担当される守屋さんのバンドの若いフレッシュな感覚の皆さんにもご協力いただいて、スウィングジャズ黄金時代と歴史を特集します。若い人たちはあまり僕らの世界を知らないわけです。ジャズのアドリブとは、本来その場で即興演奏するわけですが、今のアドリブはバークレーで教えられている様な和音進行でクラシック的に展開していきます。
ルイ・アームストロングからベニー・グッドマンまでの時代のアドリブは、例えば誕生日の定番曲"Happy Birthday to You(「ハッピー・バースディ・トゥ・ユー」)"であればワルツのメロディーをリズムにのせてスウィングし、適当にフェイク(崩す)する。そんな様子が強いのが昔のアドリブのやり方でした。
ジャズはもともと譜面の読めないニューオーリンズの黒人たちが耳で聞き覚えて演奏していたので適当になります。それがむしろ自由で新しい音楽を生み出す源泉となったのです。間違えて覚えていても、それが音楽的に正しかったので、優れた音楽へと昇華されていきました。正しい音でデタラメをやる。そういうところからジャズのアドリブは始まっています。
それが今や高度化され、初めから和音を考えてアドリブ演奏するようになりました。僕らもついていけない(笑)。そういう新しい世代と僕ら世代が出会うのも聴きどころです。

―― 最後にコンサートへの意気込みをお聞かせください。

外山さん:今年は特にクリスマスソングはありませんが、それに替えて僕ら世代のバンドと守屋さんの若い世代のバンドと一緒になって"Sing Sing Sing(「シング・シング・シング」)"を演奏し、フィナーレを飾ります。これもカーネギーホールコンサートの前年1937年ベニーグッドマン楽団のオリジナル譜面です。
果たしてどんなスウィングが生まれるのか。ぜひ紀尾井ホールへお越しください。そして皆さんも一緒にスウィングして、楽しいクリスマスを迎えましょう。

新日鉄住金ソリューションズ プレゼンツ 紀尾井クリスマスコンサート2016

ジャズの源流をたどる旅Vol.2 ビッグバンドの時代
~スウィングしなけりゃ意味ないね~

12月23日(金・祝)16:00開演

曲目

レッツ・ダンス
その手はないよ
ワン・オ・クロック・ジャンプ
セ・シ・ボン
シュガー・フット・スタンプ
イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー
イン・ザ・ムード
スウィングしなけりゃ意味ないね
A列車で行こう
キャラバン
デューク・エリントンに捧ぐ(当コンサートのための守屋純子氏オリジナル)
シング・シング・シング ほか

出演者

・外山喜雄とデキシーセインツ
・守屋純子(ピアノ)
・紀尾井ジャズオーケストラ
・露木 茂(司会)

プロフィール:外山喜雄とデキシーセインツ

外山喜雄・恵子夫妻を中心に結成された日本一のデキシー・ジャズ・バンド。外山夫妻は早稲田大学のジャズ研究会ニューオリンズ・ジャズクラブで知り合い、1964年来日公演したルイ・アームストロングの楽屋に忍び込みラッパを吹かせてもらったことがきっかけで、夫婦でブラジル移民船に乗り込みニューオーリンズへ行き5年間ジャズの武者修行をする。帰国後、外山喜雄とデキシーセインツを結成。以来、世界のジャズ祭やテレビ、ライブスポットなどで活躍している。

リンク

紀尾井ホール クリスマスコンサートホームページ
紀尾井ホールホームページ

広報・IR室 プロフェッショナル 鹿島 亜紀彦

当社では公益財団法人新日鉄住金文化財団への支援を通じて、音楽文化の振興と発展に寄与しています。2011年以来、毎年協賛コンサートを実施し、みなさまに好評をいただいています。昨年たいへん盛り上がったジャズですが、今年も趣向を凝らしてお届けします。

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