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2016-02-05 サステナビリティ イベント
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鹿島アントラーズ、地域で生きる!

~逆境から生まれた"グローカル"という発想~

鈴木 秀樹氏
株式会社鹿島アントラーズFC
取締役 事業部長

Jリーグの強豪プロサッカークラブ「鹿島アントラーズ」が華々しい成績を重ねるまでの道のりは決して平坦ではなかった。同クラブの運営を担う鹿島アントラーズFCの鈴木秀樹氏は、新日鉄住金ソリューションズが主催したセミナーで、マーケットの小ささという逆境を乗り越える戦略について語った。ローカルに根差しながらグローバル水準の経営を目指す"グローカル"という発想があるという。

運営が成功しそうにない地域でクラブをスタート
華やかに見える裏側で常にもがき続けて20年以上成長

皆さんは鹿島アントラーズというプロサッカークラブにどのような印象をお持ちでしょうか。人気があり強くて、いつもスタジアムが賑わっていると感じているかもしれません。
しかし、華やかに見える裏側で、クラブを運営する我々は常にもがき続け、20年以上にわたり成長してきました。クラブ設立当時、旧・鹿島町の人口は4万5000人程度で、東京から約100キロも離れています。このように、プロサッカークラブの運営が成功しそうにない地域で、我々はスタートしました。本日はその逆境を乗り越えるための戦略についてお話しします。ローカルに根差しながらグローバル水準の経営を目指す"グローカル"という発想があります。

まず、Jリーグの現状を簡単に説明しましょう。よくスポーツには「シナリオがない」と言われます。一つの試合に限ればそうかもしれませんが、年間を通じた成績や5~10年の長期で見ると、明らかにシナリオがあります。

Jリーグ各クラブの最近10年間の財務を分析すると、試合成績と選手の人件費はほぼ比例しています。また、選手の人件費が概ね売上高の50%を超えると運営が苦しくなります。つまり、強いクラブを作るには、売上高を増やす必要があります。一方、売上高が増えると選手の人件費をそれ以上に増やそうとする傾向も出てくるため、クラブの強さを数年間単位で維持することは容易ではありません。
また、日本代表がワールドカップの常連になってからは、トップレベルの選手の多くが海外でプレーするようになりました。それに伴ってスポンサー、放送事業者といったステークホルダーからの風当たりが強くなるなどで危機感が生まれました。2015年からは、2ステージ制を導入して各クラブの露出機会を増やそう、あるいはクラブ共通のデジタルプラットフォームを作って新しい顧客を取り込もう、といった対策に着手しています。ナショナルコンテンツとしてJリーグの注目度を回復させる各種試みがスタートしています。
このような状況のJリーグですが、今では37都道府県に52の加盟クラブが存在し、新規加盟を目指すクラブは後を絶ちません。あまり儲からない事業にもかかわらずです。これはなぜでしょうか。実はJリーグは、ナショナルコンテンツとしては人気回復の努力が必要ですが、ローカルコンテンツとしての価値はどのスポーツより高く、成長もしています。テレビ視聴率は、地上波の全国放送では5%に届かないものの、クラブのホームタウンのローカル放送では非常に高い数字を示します。

さらに、全国52の加盟クラブは、それぞれのホームタウンで、教育/医療/商工業の活性化/少子高齢化対策など、各地域の課題解決に直結する取り組みを行っています。今ではJリーグの価値は、エリアマーケティングの集合体であり、それがナショナルブランディングにつながることであるとも考えられるようになりました。そのため、Jリーグのオフィシャルパートナーに大手保険会社や全国規模の流通事業者が参入しています。

最も小さなマーケットで成功したクラブと評価
中国や韓国といったアジア各国からも多くの方々が視察

その中で、鹿島アントラーズは、Jリーグ発足時の加盟10クラブのうち、最も小さなマーケットで成功したクラブの事例として研究されてきました。国内はもちろん、中国や韓国などアジア各国からも多くの方々が視察に来ています。

我々が誕生した背景には、発足当時の親会社である旧・住友金属工業の採用難がありました。同社が主力製造拠点を置いた鹿島臨海工業地帯には現在、150を超える企業が生産拠
点を持っていますが、1980年代は、いわゆる3K職種とされ、娯楽施設も少ないため若者の定着率が低かったのです。

その頃に立ち上がった「豊かなまちづくり懇談会」では、自治体、企業、住民が一体となって地域活性化の議論を重ねました。ちょうどそこに国内プロサッカーリーグ発足の話が持ち上がり、「これに賭けてみよう」ということになったのです。

「99.9999%不可能」とされながらもクラブを設立
お手本と言われるまで地域との関係を深める

Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏へ加盟のお願いに行くと、実力から地域人口まで、あらゆる面で加盟にふさわしくないということで「99.9999%不可能」とされましたが、交換条件であったサッカー専用スタジアムを建設することで「0.0001%」の可能性を実現しました。幸いにも財源があり、1万5000人を収容するスタジアムが建設され、我々は誕生したのです。

Jリーグ加盟が決まると、実力強化に向けて他のクラブからコーチや選手を招き、ブラジルからもジーコ、アルシンドという一流選手が加わりました。そして、無我夢中でクラブを運営する中、タイトル獲得を重ねることができたのです。零細クラブがタイトルを獲得したことは、地元にもサッカーファンにも驚きだったと思いますが、我々には勝つ確信がありました。Jリーグ開幕前、ジーコに連れられてイタリアへキャンプに行ったとき、インテルやクロアチア代表などの強豪と本気で試合をして大敗を喫しました。このときのこの経験が選手、フロント、現場職員などにプロの在り方を徹底的に植え付け、不断の努力を促したのです。

今もクラブハウスやロッカーなど、至るところにジーコが掲げた言葉「献身・誠実・尊重」が掲げられています。この三つは、鹿島アントラーズの根底にあるスピリットです。
さらに、鹿島アントラーズはJリーグのお手本と言われるまでに地域との関係を深めました。地元自治体の出資に始まり、いち早く顧客管理システムを導入したり、ファンクラブ制度を立ち上げたり、年間指定席をメンバー制にしたりしました。衛星放送局と番組を制作したり、選手の育成拠点を設置したりもしました。今では、各クラブが当たり前のように行っていることを、1993年のJリーグ開幕当初から、次々に実施しました。

ここまで取り組んだ理由は、やはり我々のマーケットが非常に小さいことに尽きます。Jリーグの平均的なマーケットはスタジアムから20~30キロ、1時間で来れる距離と言われます。我々の場合、30キロ圏内の人口は78万人程度で、観客の50%は首都圏からの来場者でした。また、調査によると、観客が52クラブの中で最もお金と時間を費やしていました。

これらのことは喜ばしい反面、リスクもありました。それが初めて現実になったのが2001年です。2002年のワールドカップ開催に向けホームスタジアムを大改修しましたが、2年間の工事中、他の地域で試合をしたことで多くのリピーターを失いました。さらに2011年の東日本大震災で、首都圏からの来場者が大きく減ったのです。我々全員の心が折れてしまいそうなほどの苦境でした。
しかし我々には、立ち直るために立ち帰る場所がありました。設立50年後である2041年の我々のあるべき姿を定めた「ビジョンKA41」です。20年間の足跡を2010年に約1年かけて検証して「多くの偶然が重なって今のアントラーズがある」という答えを導き出しました。そこで、偶然を必然に変えるために実施すべきことを徹底的に議論し、誰が経営者になっても、どんな時代も変わらない方針を決めたのです。

第4の収益の柱としてスタジアム事業を展開
フィットネスクラブの開業でも奇跡を起こす

その中で必要とされた施策の一つが、第4の収益の柱を作ることでした。一般にクラブ運営は広告料収入、入場料収入、ライセンス収入の3本柱で成り立っていますが、我々のマーケットでは不十分でした。そこで4本目の柱として取り組んだのが、スタジアム事業です。2006年に茨城県からスタジアムの指定管理者として管理権を取得しました。年間約20試合のプロ興行と、約50試合のアマチュア興行の管理をする内容でしたが、それを大きく変えて、事業として365日稼働させ、公共施設の固定概念を変えることを目指しました。そのため、サッカー以外の「ノンフットボールビジネス」をスタートしています。

ノンフットボールビジネスとして最初に始めたのがフィットネスクラブです。当時の開業診断では「絶対成功しません」と言われました。ただ、そこで我々はひるまなかった。奇跡を起こしてきた、この20年間で築き上げた財産は地域連携です。コーチによるホームタウンの幼稚園の巡回指導は年間200回近くをこなしています。選手による小学校訪問は3年でホームタウン内すべての小学校を巡回するというローテーションを組んでいます。あわせて食育キャラバンという食育の事業も実施している。選手の育成拠点は県内外に17カ所あり、3000人以上を育成しています。プロ選手は50人以上も輩出しました。この他にも、多くの地域イベントに参加しています。

これらの地域連携で築いた信頼がフィットネスクラブ業界の常識を覆しました。現在は、通常のプログラムに加え、介護予防、ダイエットやスキンケアなどのプログラムも展開しています。また、スタジアム併設のウォーキングコースを無料開放していますが、約1万5000人の登録利用者がいます。

このような健康事業を皮切りに、ビアガーデン、ミュージアム、バックステージツアー、フリーマーケットなどの事業やイベントを次々に実施した結果、以前は試合日以外静まり返っていたスタジアムが日々賑やかな空間に変わりました。

数字に裏付けされた効果的な努力が不可欠
"グローカル"の発想で事業を推進していく

この間、試合の中継番組の自主制作や飲食店向けのガスの一元供給など、スタジアムの付加価値を高める工夫を重ねながら、2015年に「アントラーズスポーツクリニック」を開設しました。ドクターの専門性と最新設備が特長の整形外科医院で、プロスポーツにおけるメディカルノウハウを地域住民へ還元する使命があります。脳外科で使われる高性能MRI(磁気共鳴画像)装置によって、スポーツ選手の肉離れから高齢者が抱える痛みまでの幅広い診断が可能です。このクリニックの医療システム構築に際しては、新日鉄住金ソリューションズにも支援いただきました。こうした取り組みはJリーグ内でも横展開される計画です。

鹿島アントラーズが存在し続ける限り、多くのステークホルダーと良好な関係を築くことが必要となります。マーケットが小さいため、努力は不可欠ですが、その努力は数字に裏付けされた効果的なものでなければなりません。これからも鹿島アントラーズは、ローカルに根差しつつ、グローバル水準の経営を目指す"グローカル"という発想で事業を推進していく考えです。ぜひ今後もご注目ください。

広報・IR室 プロフェッショナル 鹿島 亜紀彦

当社主催のセミナーに鈴木様をお招きしてご講演をいただきました。
私たちは普段プロサッカークラブを「経営」という視点で捉えることはあまりないのではないでしょうか。しかし、本講演での鈴木様のお話は、ビジネスの本質をついたものであり、セミナーに参加された皆さまからは共感や感銘の声が多数寄せられました。

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